スーザン・ストライカー「「トランスジェンダー」の旅路」(山田秀頌訳、『ジェンダー研究』23号、2020年)
スーザン・ストライカーは、アリゾナ大学ジェンダー/ウィメンズ・スタディーズ学部教授。英語圏トランスジェンダー・スタディーズの第一人者であり、歴史家。著書に、Transgender History: The Roots of Today’s Revolution (Seal Press, 2017)。共編著に、The Transgender Studies Reader 1 (Routledge, 2006), The Transgender Studies Reader 2 (Routledge, 2013)。2011年から2016年まで、アリゾナ大学Institute for LGBT Studies代表。
この論文は、2019年12月にお茶の水女子大学で行われたシンポジウム「トランスジェンダーが問うてきたこと——身体・人種・アイデンティティ」において、スーザン・ストライカーにより行われた基調講演の日本語訳です。
「「トランスジェンダー」の旅路」のタイトルが示している通り、本論文はトランスジェンダーという言葉がたどってきた50年あまりの複層的で相互に絡まりあった歴史を解きほぐして解説したものです。基礎的な事柄を網羅しながらも平板な教科書的説明に終始せず、「トランスジェンダー」の多義的な歴史のエッセンスを今日的な課題とともに伝えようとするものであり、今後、トランスジェンダーについての知的な議論を行う上で必読であることに疑問の余地はありません。しかし、聴衆の多くが専門家ではないことを前提に話された内容であるとはいえ、少なくない読者にとってはいまだ難解に感じられるかもしれません。この紹介記事では、論文をパートごとに簡潔に要約するとともに、議論の要点を解説していきます。
はじめに
要約
フェミニズム・クィア・トランスの三者は、「たくさんのつながりや、非常に大きな土台を共有」しながら、分断され、お互いがお互いにとって脅威であるかのようにみえてしまっています。こうした現状において、本論文の目的は、トランスジェンダーという言葉/概念の歴史的な地図を描くことで、「私たちのあらゆる差異を横断して、お互いに対する未来の取り組みをより幸福なものに」することです。
本論文は四つのパートに分かれており、それぞれが「トランスジェンダー」の旅路を語る異なったナラティブ(物語)に対応しています。ストライカーは四つの相互に絡まりあったナラティブの説明を通じて、いかにして「トランスジェンダー」が、今日私たちが目撃しているような「世界規模の文化・政治闘争の論争的で競合的な中心点」になったのかを解きほぐそうとします。 そして、以下の四つのナラティブが予告されます。
第一のナラティブ:トランスジェンダーという言葉はどこからきたのか、いかにして医学的な性別越境の定義に対する当事者による抵抗の概念となったのか。
第二のナラティブ:トランスジェンダーという言葉の下敷きになっているジェンダー概念はどこからきたのか。ジェンダー概念は、いかにしてトランスジェンダーをはじめから内包していたのか。
第三のナラティブ:英語圏で誕生した「トランスジェンダー」や「ジェンダー」といった概念は、いかにして世界的に流通するようになったのか。
第四のナラティブ:現在起こりつつある世界的な反動的体制において、「トランスジェンダー」がいかにして「ジェンダー・イデオロギー」の最も過激なバージョンとして位置づけられ、攻撃されるに至ったか。
本論文の各章は、以上の四つのナラティブにそれぞれ対応する形になっています。
この概要にすでにあらわれているように、ストライカーの議論は、トランスジェンダーという言葉/概念の歴史を、ジェンダー概念の歴史にお互いに埋め込まれた一部として語るという点が特徴的です。この点はやや抽象的に聞こえるかもしれませんが、重要な示唆を含んでいます。
ジェンダー概念自体、少なくとも部分的には、トランスジェンダーを説明するために発明された概念でした。セックスとジェンダーを区別することで、フェミニズムは生物学的な性の定義に縛られない様々なジェンダーの可能性を思考することが可能になりました。このように、トランスジェンダーがジェンダー概念の一部として(ということは、セックス/ジェンダーの区別の一部として)組み込まれていたということは、フェミニズムは最初から、トランスジェンダー現象と格闘するさだめにあったということです。
ここから二つの点が導かれます。第一に、トランスジェンダーは学問的・政治的な流行の最先端として最近フェミニズムにあらわれたものではないということ。第二に、今日世界的規模で起こりつつあるジェンダー概念への攻撃における「トランスジェンダー」のターゲット化を、トランスジェンダー概念自体の歴史の一つの帰結として理解できるということです。 これら二つの点は、以下の本論においても強調されることになります。
I. 「トランスジェンダー」という言葉の歴史
要約
「トランスジェンダー」という言葉の初出は、現在、ジョン・オリーヴンという精神科医の1965年の著作とされています。オリーヴンはそこで、「トランスセクシュアル」と同じ意味内容をもつ代替語として「トランスジェンダー」を用いることを提案していました。
「トランスセクシュアル」は、1966年には医学的なカテゴリーとして確立しました(ハリー・ベンジャミン『トランスセクシュアル現象』)。「トランスセクシュアル」は、一方通行で、一度きりの、手術とホルモンを手段とする男性から女性への移行を意味していました(当時、女性から男性への移行はあまり可視化されていませんでした)。
対して、「トランスジェンダー」は、病理的で厳格な「トランスセクシュアル」概念のオルタナティブとして様々な意味を込めて用いられました。1992年には、レスリー・ファインバーグが「トランスジェンダー」を、ジェンダーによって抑圧されるすべての人々を含む包括的な言葉として用いました。反二元論的なジェンダーを包括するものとしてのトランスジェンダー概念は、異性愛主義が依拠する男性と女性のカテゴリーを混乱させるものであると考えられ、クィア・アクティヴィズムにおいても影響力を持ちました。
英語圏のトランスアクティヴィズムの中で発展した「トランスジェンダー」は、90年代半ばのLGBTという枠組みの登場とともに、主流化していきます。ですがその結果、「トランスジェンダー」という言葉の内実は変化し、「トランスセクシュアル」のオルタナティブとして二元論に収まらない様々なカテゴリーを包括するものとは理解されなくなりました。今日では、「トランスジェンダー」はおおむね「トランスセクシュアル」と同様に、医療的手段を用いた、一方から他方へのジェンダーの移行を意味すると考えられています。
第一章では、トランスジェンダー概念自体の歴史が語られます。「トランスジェンダー」は、「トランスセクシュアル」の置き換えから出発し、反医療・反二元論的な意義づけをもつ政治的カテゴリーとして発展しながら、「トランスセクシュアル」の同義語へと戻っていった、とまとめられます。ですがストライカーは、これは単なる回帰・後退としてではなく、セックスとジェンダーという二極の間の揺れ動きとして理解すべきだと主張しています。
それがどういうことなのかを理解するには次章を待たなければなりませんが、まず、次の点を確認できるでしょう。「トランスセクシュアル」は、トランス+セックスという語の成り立ちを持ち、トランスジェンダーは、トランス+ジェンダーという成り立ちを持ちます。つまり、「トランスジェンダー」は初めから、セックス/ジェンダーという概念の区別の上に立脚していたことがわかります。論文中でも触れられているように、社会的なジェンダー役割の移行はするが、性器の移行はしない、という意味で「トランスジェンダラル」や「トランスジェンダリズム」といった言葉を用いたヴァージニア・プリンスは、1969年に次のように述べていました。「私は、少なくとも、セックスとジェンダーの違いを知っているのだし、前者ではなく後者を変えることに決めたのだ」。
本章で描かれているようなトランスジェンダー概念の歴史的な変遷を知ることで、「トランスセクシュアルとトランスジェンダーは違う」「アンブレラ・ターム(包括概念)であるトランスジェンダーには明確な定義がないからおかしい」といった言説が、短絡的なものであることが理解できます。
II. フェミニズムにおけるジェンダーの精緻化とその生物医学的系譜
要約
もともと、英語の「ジェンダー」は、文法上の性を意味する概念でした。フェミニストは性における生物学的な領域と人間活動にかかわる領域を区別するために、1970年代、ジェンダーという言葉を文法用語から借用しました。ジェンダー概念を用いることで、フェミニストはいかにして人間活動が生物学的なものを変容させ、政治的・社会的に特定の形に編成するのかを問おうとしました。
文法の規則は恣意的なものであり、私たちは自由に新しい文法上の性(ジェンダー)の誕生や消滅を思考することができます。1970年代・80年代の人文学や社会科学における言語への注目、「言語論的転回」の中で、文法上のジェンダーは、男性/女性の権力関係やカテゴリーがいかに変容されうるかを考えるためのモデルとして受容されました。ただし、言語や表象(ジェンダー)への関心の高まりは、「ならば身体(セックス)はどうなるのか?」という問いの回帰を伴っていました。こうした文脈は、「トランスジェンダー」がフェミニズムにおいて登場する際の条件を規定しました。
実は、文法上のジェンダーを転用したのは、フェミニストが最初ではありません。ジョン・マネーをはじめとする生物医学者・性科学者は、1950年代・60年代に、性分化疾患/インターセックスやトランスセクシュアリティの研究を通じて、そうした人々の性のあり方を説明し、人間の性的人格についての一般理論を構築するために、ジェンダー概念を用いました。このように、「トランスジェンダー」は、ジェンダー概念、すなわちセックス/ジェンダーという区別に初めから内在していたのです。
第二章で語られるのは、ジェンダー概念の物語です。フェミニズムは、生物学的な性(セックス)の定義に抵抗するために、ジェンダー概念を導入しました。トランスジェンダーは、あたかもジェンダー概念・理論の発展の極まった形態であるかのように位置づけられる傾向にあります。それゆえに、のちの第四章で説明されるように、ジェンダー概念への今日的な攻撃において、トランスジェンダーがターゲット化されるのです。ストライカーはこうした見方を反転させ、初めからセックス/ジェンダーの区別にはトランスジェンダーが内在していたのだということを明らかにしています。
ストライカーによれば、そもそもジェンダーという言葉が文法用語だったという点に、大きな意味があります。文法上の性(ジェンダー)は、恣意的なものだという特徴を持っています。つまり、文法の世界における規則と現実世界における事物の秩序の間には、何の必然的な対応関係もないのです。英語では、manは男性代名詞heで受け、womanは女性代名詞sheで受けるといった文法上の規則がありますが、三つや四つのジェンダーを考えることも、ジェンダーのない言語を考えることもできます。だとすれば、現実(セックスが属する事物の秩序)においても、言葉の上で現在見えているのとは違ったジェンダーの可能性が、もしかすると無数にあるのかもしれません。ここに、トランスジェンダーが問いとして浮上する場所が生まれます。
ジュディス・バトラーの1990年の有名な著作『ジェンダー・トラブル』もまた、この文脈の中で受容されました。バトラーは私たちがセックスと呼んでいるものもまた言語的なカテゴリーにすぎないのだと主張しましたが、そこではドラァグやトランス性がモデルとして用いられていました。バトラーの議論はフェミニズム理論の画期となりましたが、ストライカーが嘆息気味に述べているように、バトラーを通じて初めてトランスジェンダー的な内容に触れた人々は、「トランスジェンダー」は身体軽視の言語中心主義を象徴するものだと誤って考えました。
III. (トランス)ジェンダーのグローバル化
要約
1952年、デンマーク系アメリカ人のクリスティーヌ・ジョーゲンセンが性別適合手術を受けたことが、世界中で報じられました。世界的セレブになったジョーゲンセンの物語を通じて、世界中の人々がトランスセクシュアルという言葉を知り、この概念が体現しているような、西洋的な二元的アイデンティティ体制を認識する方法を学習しました。
米国の奴隷制の歴史は、白人性の純粋さを守り、奴隷制から利益を上げ続けるため、異人種の血が少しでも混ざっている者を黒人に分類して白人と黒人を厳格に区別する二元論を作り出しました。そこでは現実に存在する混血性や雑種性は二元論に押し込められ、二元化された身体的差異は、同じように二元化された社会的カテゴリーの基盤として利用されました。この人種的論理は、男性/女性、ホモ/ヘテロのような他の社会的カテゴリーについても、同様の枠組みをもたらしました。
アメリカは人種的マイノリティの奴隷労働と搾取を資本蓄積の手段として利用していました。ですが、1945年以降には、アメリカは黒人解放闘争をはじめ、様々なマイノリティの解放闘争に直面しました。最初のトランスの政治的闘争の事例もまた、その一つです(コンプトンズ・カフェテリアやストーンウォール・インの反乱)。多数の闘争に直面して、米国が新しい「人種資本」の形態として考案したのが、ネオリベラルな「差異のマネージメント」モデルです。
このモデルは、差異を単純に抑圧するのではなく、むしろ増殖させ、周縁化されてきた人々を抱擁したり排除したりすることを通じて、権力を進展させることを狙いとしています。新しいアイデンティティの形態を増殖させる効果を持つセックス/ジェンダーの区別は、この新しい権力の道具となりました。主に国際的な人権NGOによってグローバルに拡散した「トランスジェンダー」もまた、差異のマネージメント・モデルの媒介物でした。
前二章では、ジェンダー、トランスセクシュアル、トランスジェンダーといった概念が英語の中でいかにして相互に絡みあいながら発展していったかが語られました。第三章で語られるのは、こうした特定の性の体制に埋め込まれた概念群のグローバルな拡散が、いかなる地政学的な意味を持っていたのかということです。
論文中では、台湾とフィリピンを事例に、トランスセクシュアル概念との交渉が描かれています。この概念は、各地域で、西洋近代的な科学性を遂行できることの証明として模倣されることもあれば、伝統的な非規範的ジェンダーの形態と衝突することもありました。日本でも、三橋順子が述べているように、1953年、「日本版クリスチーヌ」がメディアによって「発見」され、話題を呼びました。
日本における90年代以降の性同一性障害概念の導入と主流化もまた、特定のセックス/ジェンダーの認識枠組みに埋め込まれたトランスセクシュアリティの論理を定着させる役割を果たしました。性同一性障害は「体の性」と「心の性」の不一致として説明されることが多くありますが、これは第二章で触れられている、セックスとジェンダー・アイデンティティの不一致としてトランスセクシュアリティを定義するロバート・ストーラーの枠組みを日本語流にアレンジしたものだといえます。
「トランスジェンダー」は、米国中心のネオリベラルな体制のグローバル化とともに90年代後半から2000年代以降、拡散しました。しかし、第一章でも述べられていたように、トランスジェンダー概念はグローバルな主流化を通じて、反医療・反二元論という反体制的な含意を大部分失いました。その結果、体制によるマイノリティの「マネージメント(管理)」のための道具ともなったのです。つまり、多様な差異として包摂可能な範囲に限定された「トランスジェンダー」には既存の様々な制度内での承認が与えられる反面、性別二元的な社会を根本から問おうとするトランスアクティヴィズムの問題意識は後退させられました。
IV. 「ジェンダー・イデオロギー」におけるトランスジェンダーの役割
要約
ネオリベラリズムの時代を経て、いま、新しい世界システムが姿を現しつつあります。ブレクジットで揺れるイギリス、トランプのアメリカをはじめ、フィリピン、ハンガリー、ロシア、インド、ブラジルといった国で現れつつある反動的な運動や体制において見え始めているものがそれです。
この新しい潮流の中で、ジェンダー概念は、不道徳な同性愛や、男女が同一の存在だと主張するフェミニズムを媒介するものだとして攻撃されています。しかも、そうした「ジェンダー・イデオロギー」は、トランスジェンダリズムにおいてこそ頂点に達するということにされ、トランスジェンダーは常識的な社会秩序の転覆者としてターゲット化されています。
こうしたトランス女性の悪魔化は、1970年代の分離主義フェミニズムの中の一部の人々によって始められました。1979年には、脅威をもたらすトランス女性という陰謀論をジャニス・レイモンドが完全な形で展開しました。この陰謀論は、ときおりよみがえりつつも、いずれ衰退していくものとほとんどの人は考えていました。ところが、トランスフォビックな「ジェンダー・クリティカル・フェミニズム」なるものは、今現れつつある世界的な政治的反動の潮流にぴたりと合致して、勢いを得てしまいました。アカデミアにおけるジェンダー研究へのバックラッシュもまた、市民社会におけるトランスの人々への攻撃の高まりと密接に関連しています。
英語圏での展開と世界的な拡散を経て、第四章では、いま目撃している世界的なトランス排除の高揚という地点に到達します。ストライカーは、トランスジェンダーへのバックラッシュは、同性愛、フェミニズム、そしてジェンダー概念自体へのバックラッシュと一体であるということ、これらのバックラッシュは、反グローバリズムやポピュリズムといった言葉で言及されることも多い新しい政治的潮流の中で重要な位置を占めているということを強調しています。この診断は、1970年代にフェミニズムの中で生まれながらも、主流のフェミニストからはすでに過去のものとみなされてきた反トランスの陰謀論が、なぜ今、勢力を増しているのかという疑問への回答でもあります。
第四章でストライカーが新しい現象として描いているジェンダー/トランスジェンダーへのバックラッシュとほとんど同種のものを、日本はすでに経験してきたということには注意が払われてよいでしょう。2000年代前半から半ばにかけて激化した日本のバックラッシュでは、保守派の論客や政治家によって、ジェンダー概念の使用やフェミニズムは「中性人間」を作り出すと主張され、トランスフォビアがあおられました。
本論文でストライカーが歴史家として最後に提示するのは、第四章で描かれているような悲観的な見通しです。しかしながら、不幸な形で私たちみなが巻き込まれている世界的なトランス排除の時代において、「何が私たちの真に重要な価値観であるか」が問われているのだと、ストライカーは述べています。