Julia Serano, “Putting the “Transgender Activists Versus Feminists” Debate to Rest“, (medium, posted Oct.17, 2018)
ジュリア・セラーノは、トランスアクティヴィスト、トランスフェミニストの著述家、音楽家。2007年のWhipping Girl: A Transsexual Woman on Sexism and the Scapegoating of Femininityは、トランスフェミニズムの主要文献として名高い。
トランス排除をめぐる争いは、しばしば、「トランス陣営とフェミニストの衝突」「トランスの権利と女性の権利の衝突」のように語られます。この記事で、セラーノは、そうした「衝突」は実際には存在しないこと指摘するとともに、「衝突」が存在するかのように見せかけて利益を得ているのは誰であるかを明らかにしています。
セラーノによれば、「トランス活動家とフェミニストの衝突」の背後に隠れて衝突を仮構しているのは、キリスト教右派などの道徳的な保守派にほかなりません。保守派の狙いは、「女性の権利擁護」を隠れ蓑にして反トランスのアジェンダを推進し、伝統的で保守的なジェンダー観を広めることです。したがって、両陣営の間に「対立」や「衝突」があるという図式は、拒絶される必要があるのです。
「トランスジェンダー活動家 vs. フェミニスト」論争を終わらせる
ジュリア・セラーノ
ジュリア・セラーノは、2000年代初期からフェミニズムとトランスジェンダー・アクティヴィズムの交差について書いてきたトランス女性の論客です。そのために、彼女は「トランスジェンダー活動家 vs. フェミニスト」というような「最近の衝突」について語ってほしい、と依頼されることが多いそうですが、そのような依頼は現在、すべて拒否しているそうです。この文章は、その理由を説明する「オープン・レター」として書かれたものです。
トランスアクティヴィズムとフェミニズムの間には、過去、特に1970年代や80年代には大きな衝突がありました。ですが、現代のほとんどのフェミニストは反トランスのイデオロギーを拒絶しています。確かに、自分たちのことを「ジェンダー・クリティカル」とか「ラディカル・フェミニスト」などと呼んで反トランスを主張するフェミニストは存在していますが、それは少数派にすぎません。なぜなら、そうしたイデオロギーは反トランス的であるのみならず、インターセクショナリティの理念に反しているからです。
セラーノの分析によれば、ここ数年、「トランスジェンダーの人々が女性を脅かしている」というようなイデオロギーを宣伝し、TERFの声を増幅しているのは、フェミニストというより保守派のグループです。なぜ、保守派がTERFの主張を取り入れるのでしょうか。それは、反トランスの立場を「反トランス」だと言うより、「女性擁護」だと言った方が、社会的に受けがいいからです。
セラーノはそうした保守派の動きを示すものとして、以下のような記事を挙げています。
- トランスジェンダーの権利に反対するためのキリスト教右派の秘訣:TをLGBから切り離す
- トランス女性を排除する「フェミニスト」はフェミニストでもなんでもない
- このフェイクのフェミニスト・フロントを密かに運営しているのはトランスフォビックな保守派だ
- 反トランスの活動家が国会のイベントで「寄生的」なトランスの人々を非難
- キリスト教右派と反トランスのフェミニストの蜜月
- 「左派」の反トランス活動家が右翼のヘリテージ・ファウンデーションに合流し、トランスの人々を罵倒
- 共和党下院議員が「レズビアンのラディカル・フェミニスト」の背後に身を隠して反トランスのアジェンダを推進
- トランス排除派のラディカル・フェミニストと右翼の醜悪な連帯
- 反トランスの「ラディカル」フェミニストの台頭を解説
- もちろん、TERFは白人ナショナリストと共通の大義を見出した
こうしたバックラッシュの高まりの結果、トランスの人々はソーシャル・メディアで、ハンドル名に「XX」を付けているようなトランスフォビックなアカウント群から激しく攻撃されるようになりました。ですが、よく見てみると、そうしたアカウント群の多くは、反トランスの主張しか投稿しないことがわかります。ラディカル・フェミニストや主流のフェミニストであれば関心を持つであろうイシューには、言及がありません(例えば、家父長制への反対、リプロダクティブ・ライツやセクシュアル・ハラスメントなど)。
このことから、セラーノは次のように結論します。つまり、バックラッシュの大部分は実際のフェミニストから来ているのではなく、トランスジェンダーに対する憎悪を正当化するためにフェミニズムを奪って利用する人々から来ているにすぎないのです。
したがって、トランスジェンダー・アクティヴィズムとフェミニズムの間になにか大論争があるかのように考えるのは間違いです。トランスアクティヴィズムをフェミニズムと対立するものとして位置づける記事に協力することはできません。なぜなら、それは端的に真実ではなく、トランス排除に対してフェミニズムとして正当な理由があるという神話に信用を与える結果になるだけだからです。