Emi Koyama, “‘Cis’ is real—even if it is carelessly articulated“, (eminism.org, posted Sep.9, 2013)

エミ・コヤマは、フェミニズム、トランス、クィア、人種、DSD、障害など様々な領域を横断する著述家・アクティヴィスト。著作に、“The Transfeminist Manifesto”(2003), “Whose Feminism Is It Anyway?”(2006)。

「トランスでない人」を意味する「シス」という用語は、反トランスのフェミニストからの非難の的になっています。そうしたフェミニストたちは、「シス女性」のような表現はミソジニーであると断じ、「女性とは端的に女性である」と主張します。

もちろん、「女性とは女性である」から「トランス女性は女性ではない」という彼女たちの主張は、差別的な信念の発露にほかなりません。ですが、「シス」という用語の使われ方には、実際にいくつかの問題があります。しばしば、「シス」と「トランス」は二項対立的に理解されます。そして、「シス」の人とは、出生時に割り当てられた性別に基づいて期待されるジェンダーの振る舞いを受け入れている人のことであると想定されます。ですが、フェミニストの女性は、まさにそのような社会的なジェンダーの強制に実際に逆らおうとします。多くのシス女性のフェミニストは、あなたは社会的な女性性の定義を受け入れている人だ、と言われれば、反論するでしょう。

こうした問題に言及しつつ、この記事でエミ・コヤマは「シス」という用語の一般的な定義のされ方について介入をしています。「シス」という用語には問題があること、それにもかかわらずこの概念は重要であることが、簡潔な文章でまとめられています。


「シス」は現実のものだ。たとえ、説明のされ方が不用意だとしても。

エミ・コヤマ

この記事で、エミ・コヤマは「シス」という用語の定義のされ方について問題提起をしています。「シス」は、しばしば「出生時に割り当てられた性別と性自認(ジェンダー・アイデンティティ)が一致している人」と説明されますが、この定義はコヤマによれば、問題のあるものです。ですが、それは「シス」という用語の定義のまずさの問題であって、シス特権が存在しないことを意味しません。

日常会話では、「シス」は「トランス」の対義語だと言っておけば十分です。「シス」という言葉を使うことで、「シス」と「トランス」を言葉の上で、同等に扱うことができます。そのため、「シス」は、「普通の」「自然の」「生物学的な」「遺伝的な」「本物の」といった、非トランスの人々を指示するための他の言葉より好ましいものです。

ところが、この言葉が広まるにつれて、「シス」は「非トランス」以上の実質的な定義を伴って説明されるようになりました。コヤマは例として、シスジェンダーとは「出生時に割り当てられた性別と、身体と、アイデンティティが一致している人」を指す、というウィキペディアの説明を引用しています。

コヤマが問題視するのは、この定義において、「シス」があたかも自然なカテゴリーかのように扱われているという点です。しかし、ジェンダーとは、少なくとも部分的には、女性を従属させるために強制される抑圧の制度です。実際このために、多くの「シス」女性は、出生時に割り当てられた性別を理由として自分が沿うように期待されるジェンダーの振る舞いが、自分にとって心地よいものであるとは感じません。一部の反トランスのラディカル・フェミニストは、「シス」という用語を拒絶してきましたが、コヤマはこの点に限っては、そうしたフェミニストは的を得ているといいます。

コヤマによれば、「シス」というカテゴリーは、白人性や健常身体性と同様に、権力や特権との関係から定義されなければなりません。多くの人は、「白人性」や「健常身体性」は自然なカテゴリーであると考えがちです。しかし、人種主義や健常主義の歴史に関する研究は、これらが社会的に構築されたカテゴリーであることを、明らかにしてきました。

例えば、過去数世紀の間に、アメリカにおいて誰が「白人」とみなされるかの基準は変化してきました。また、障害の社会理論において理解されているように、「障害」もまた、身体的・精神的な差異(損傷)の社会的意味です。ある損傷を持っている人の直面する「障害」の程度や有無は、歴史的に、政策や技術の変化によって影響を受けてきました。

同様に、「シス」もまた、権力と特権に関わる歴史的・政治的なカテゴリーとして理解されなければなりません。この観点から、コヤマは以下のように結論します。

「私の考えでは、「シス」の人とは、ジェンダーが割り当てられた性別と一致している人や、「性別違和」に苦しんでいない人のことでは(必ずしも)ない。「シス」は、トランスフォビアによって定期的に苦しめられていない(もしくは苦しめられる可能性を管理しなくてもよい)人のことを指すべきだ。」

確かに、「シス」と「トランス」の間には、グレーゾーンが存在します。例えば、ブッチの女性や女性的な男性はトランスではなくとも、トランスフォビアを経験するかもしれません。ですが、それは「シス」という概念の有用性を減らすものではありません。

最後に、コヤマは「トランスフォビア」という言葉で何を意味しているのかを明確にしています。トランスフォビアは単に間違った代名詞で呼ばれることではなくて、トランスの人々の生を奪う暴力、差別、社会的遺棄を意味します。私たちの生きる社会に、こうした悲劇は実在しています。シスとは現実のものであり、シス特権は実在するのです。現に存在する特権を否定させないためには、「シス」という概念のだめな定義を問い直さなければなりません。